論理は理性に必ず備わる機能ではない
“内容を語る際の論理それ自体に着目する能力がなければ
議論どころか、思考そのものができない“
長年、感情的にならない努力を重ねてきたが
我慢強い人間になっただけだった。
穏やかと言われるが
感情の混沌は内に常に渦巻いていて
抱え込みに限界が来ると過食している。
論理(内容と形式)は理性に必ず備わる機能ではない。
そして思考は内容と論理を同時に把握して、初めて成立する。
感情的にならないは、理性的人間になるための
諸条件の一つでしかなかった。
努力が結果につながらない理由は、理性という機能への理解不足だった。
まずは認識した現象を短文かつ平易に組み立てる
作文能力のためにブログを続けることにする。
おそらく教養があるということも単純に知っているではなく
言語的単純表現できて初めて身になるのだろう。
いつも心に祈りのような淡い思いがあって
それは理性的な人間への憧れだと思ってきた。
深い納得を誤差なく表現できたら
明るい気持ちになれるかもしれない
憧れではなく、言語による祈りに代わる瞬間だった。