論理は理性に必ず備わる機能ではない

永井均Twitterより

“内容を語る際の論理それ自体に着目する能力がなければ

議論どころか、思考そのものができない“

 

長年、感情的にならない努力を重ねてきたが

我慢強い人間になっただけだった。

 

穏やかと言われるが

感情の混沌は内に常に渦巻いていて

抱え込みに限界が来ると過食している。

 

論理(内容と形式)は理性に必ず備わる機能ではない。

そして思考は内容と論理を同時に把握して、初めて成立する。

 

感情的にならないは、理性的人間になるための

諸条件の一つでしかなかった。

努力が結果につながらない理由は、理性という機能への理解不足だった。

 

まずは認識した現象を短文かつ平易に組み立てる

作文能力のためにブログを続けることにする。

 

おそらく教養があるということも単純に知っているではなく

言語的単純表現できて初めて身になるのだろう。

 

いつも心に祈りのような淡い思いがあって

それは理性的な人間への憧れだと思ってきた。

 

深い納得を誤差なく表現できたら

明るい気持ちになれるかもしれない

憧れではなく、言語による祈りに代わる瞬間だった。